下等遊民の妄言

韓国関連ニュース雑感

韓国語に対する誤解?

韓国語を表記する文字はハングルで、現在韓国では漢字をほとんど使っていない。そのため、一部の人は「韓国人は漢字を捨てた」と言ったりする。

 

それについて、「だから良かった」とか「だから失敗した」という議論が続くのだけど、今回はそれには触れず、韓国語の表記において、「韓国人は漢字を本当に捨てたのか」、という問題について、思うところを書いてみたい。

 

日本語はひらがな、カタカナ、漢字を混ぜて文章を書き、ここにアルファベットなどが加わることがある。

 

それに比べて韓国語は基本的にハングルだけを使い、漢字はほとんど使用されず、ローマ字などもほとんどない。PCなんかも피시なんて書いたりするし。

 

だから韓国語はハングルで書く、ということを知っている人の中には、日本語をすべてひらがなで書いているようなもの、などと説明したりするが、これは多分間違っている。私は日本生まれの日本育ちで、韓国語はネイティブに準ずるレベルで身につけていると自分では思っているけど、生まれながらの韓国語ネイティブとは韓国語の捉え方が違うだろうから、正確なことはわからない。あくまでも、「こういうことだと思う」というレベル。

 

1)私は学校に行きます。

という文章を韓国語で書くと

1’)저는 학교에 갑니다.

となる。文法がとても似ているから、そのまま単語を置き換えて

저(わたし)는(は) 학교(学校)에(に) 갑니다(行きます)

と分解することができる。

 

1’)はすべてハングルで書かれているが、すべてひらがなで書くのとは異なり、韓国人の認識としては、

1’’)わたしは学校にいきます

程度なのではないかと思う。つまり、音読する部分だけが漢字で、訓読がひらがな、という形。

 

だから例えば法律のような音読みの多い文章だと、

2)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

2’)일본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실하게 희구하고, 국권의 발동인 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영원히 이것을 포기한다. 

 

となるのだけど、(※漢字をそのまま置き換えただけで私の全力の訳ではないので、この程度の能力かよ、とか思わないでね、念のため)

 

韓国人の頭の中を予想すると、

2’’)日本 国民은, 正義와 秩序를 基調로 하는 国際平和를 誠実하게 希求하고, 国権의 発動인 戦争과, 武力에 의한 威嚇 또는 武力의 行使는,国際紛争을 解決하는 手段으로서는, 永久히 이것을 放棄한다.

 

みたいになっている、と思います。というか、なっていたと思う。

 

だけど、だけどだけど・・・若い人たちが「韓国」という漢字を読めなくなるくらい漢字から離れてしまい、もしかしたらほんとうに、「にほんこくみんわせいぎとちつじょを」なんてなっているのかもしれない。やれやれ。

 

 だから大学院の授業などで韓国人がレジュメを読むスピードというのはおそろしく速く、それはほとんど頭に入ってこない。文章を読んでいても、漢字の単語はとても多く使われているのに、それが漢字で書いてないから、漢字の持つ表意性が失われ、理解力の向上に役に立っていない。だからやっぱり一度読んですぐに頭にはいってくるような理解力は望めないし、意味を把握するには日本語よりも時間がかかる。

 

だからだめな言語とか表記法とか言うつもりはなく、パソコンで簡単に出てくるのだから、書けなくても読める程度の漢字教育はしたほうがいいと思うのだけど、漢字を覚える時間があれば、英単語覚えた方がいいというのが貿易国としての韓国の結論なんでしょうねえ~。

 

日本は日本語で高等教育が受けられ、ほぼ最新の情報が日本語で得られるというのがメリットであり、それが最近ではデメリットにもなっているんだろうけど、韓国ってのは韓国語だけじゃあ生きていけない状況になってしまっているんだろうなあ、と。良い悪いではなく。

 

 

「葛藤」という言葉

dictionary.goo.ne.jp

 

 葛藤という語を辞書で引いてみると、「カズラ」と「フジ」のことで、枝がもつれるように絡まることから、1)人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。2)心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うことーーという説明がある。

 

 時事通信のサイトで「葛藤」を検索すると、一番上には卓球の福原愛選手の記事で、「苦悩と葛藤が続いた日々だった」という記事が出る。次はリオ五輪の柔道の話題で井上監督が高藤選手について、「負けた後はショックや怖さ、いろいろな葛藤があるが、(銅メダルに向けて)自分自身を奮い立たせていた」と紹介するコメントがある。

 

 そしていくつかの記事が続き、7番目の記事は参院選自民党が圧勝したことに対する韓国の反応を紹介するもので、韓国紙・東亜日報の社説を引用し、改憲を無理に押し切れば、北東アジアに深刻な葛藤をもたらしかねない」という形で「葛藤」が使われている。

 

 上の辞書上の意味で言えば、東亜日報以外は2)の「心の中に相反する動機・欲求・感情」の意味で使われているが、韓国の記事では1)の「人と人の対立」の意味で使われている。

 

 日本のニュースなどで「葛藤」という言葉が使われるのは、ほとんどが「個人の内面」に関するもので、ときおり、集団における葛藤が使われる場合であっても、「国」とか「地域」とか一つのカテゴリーの中におけるそれぞれの人達の相反する心の動きを指している場合がほとんどで、日本のニュース記事では、「日本と中国の葛藤」というような、単純な集団同士の対立という意味では使われていない。

 

 例えばいま韓国は、THAADを配備するか否かでもめているが、韓国政府が「設置しないと北朝鮮が攻撃してきたときヤバイ、でも設置したら中国が怒るし、でもアメリカは配備しろって言うし、でもな、どうしようかな」という葛藤があるのだが、これについては葛藤という語を使わず、「THAAD問題で韓国と中国に葛藤がある」、という使い方をする。

 

 個人の内面における相反する感情のようなものについて、韓国語では「葛藤」を使わず、「苦悩」「苦悶」のような言葉を使っている。

 

 何が言いたいのかというと、日本語を学んでいる韓国語話者や、韓国語を日本語に訳すことがある日本語話者は、韓国語の「葛藤」、つまり<갈들>という語が出てきても、すぐに「葛藤」と置き換えずに、「対立」なのか、「摩擦」なのか、よく考える必要があるということだ。

 

 

 

 

 

バイリンガルについて思うこと(あるいは幼少期の外国語教育)

 バイリンガルについての感想、を書いておきたい。

 

 結論から先に言うと、ぼくのまわりにいるバイリンガルの人たちは、2カ国語が「ビジネスレベル」だけど2カ国語ともに「本職レベル」ではない、ということだ。

 

 自分自身がもともと日本語教師だったことや、その後、韓国語の翻訳者になったことなどが影響してかぼくの周りにはバイリンガルが多い。

 

 ぼく自身の韓国語能力は、成人してから学習を始めたこともあり、ネイティブとはとても言えないが、だからといって「外国語」というレベルでもなく、自分では「ネイティブに準ずる」と言うようにしている。

 

 子供の頃に外国で暮らしていた人などは、ネイティブと言えるレベルの言語を2種類以上習得している場合があり、以前はそれがただ単純に羨ましかった。だから英語を子供の頃から学ばせることに何の疑問も持っていなかった。

 

 だけど、実際自分が外国語を使う仕事をするようになり、いわゆるバイリンガルと呼ばれる人と接するようになってから、少し考え方が変わった。

 

 例えばぼくが知っている韓国人で、子供の頃日本で過ごし、日本語と韓国語のバイリンガルの人がいる。ぼくと同じように翻訳者として働いている。ぼくは韓国語を日本語に訳すのがほとんどで、日本語を韓国語にするときは、文芸作品を除いた書類やマニュアルのようなものだけで、しかもネイティブにチェックを頼むようにしている。

 

 だけどその知り合いは、バイリンガルだから日本語を韓国語に、韓国語を日本語にする仕事を制限なく両方受ける。場合によって校正者としてその人が書いた日本語をぼくがチェックすることがあるのだが、この日本語がやはり「本職」と呼ぶには少し何かが足りない。

 

 文法的な間違いはほぼないのだが(少しある)、修飾語と非修飾語の位置関係だとか、語彙の選択にどこか物足りなさを感じる。その辺のまったく本を読まないような日本人よりはよっぽどしっかりした文章を書くのだが、プロの文章と比べるとやや劣る。

 

 語学のレベルをわかりやすく数値にするとして、創作や翻訳、編集ができるような「本職」を120として、ネイティブが100、ビジネスレベルが90とする。ぼくのまわりのバイリンガルは母国語が98、もう一つが95くらいに感じる。ひとり、ふたりではなく、例外なくそうだと思う。つまり、両方共ほぼネイティブなのだけど、それで食っていくには足りないという印象がある。

 

 宇多田ヒカルみたいな人は日本語が120以上なのは確かだから、バイリンガルすべてがそうなるというわけではないのだろうが、どうもまわりの例をみていると、2カ国語ともに100に達していない印象を受けてしまう。

 

 ときどき車で聞いている朝のラジオで元NHKアナウンサーの住吉某という人が話しているが、あの人も帰国子女らしく、英語のレベルがどの程度かしらないが、少なくとも日本語はせいぜい100で、NHKアナウンサーに求められる120には到底達していないように感じる。というか、100にも達していないと思う。

 

 でも本人は「職業病で他人の日本語が気になる」と発言しているから、自分の日本語に疑問は持っていないのだと思う。そこが怖いな、と思う。ぼくのまわりのバイリンガルもほとんどは自分の言語能力に疑いを持たず、2カ国語ともに100以上、あるいは120と考えているように感じる。一部の繊細な人は、「両方共、中途半端」と自称しているから、こういう気付きのある人は、逆にいいと思うのだけど、元NHKアナで自分の日本語が変なことに気付かず、気付かないままでいるのは、悲劇で喜劇だと思う。住吉某さんのことが嫌いなわけじゃなく、むしろ好感を持っているから、逆に悲しく思う。

 

 ぼくには子供がいないけど、国際結婚したから、もし子供がいたら日本語と韓国語を両方教えていたかもしれない。もちろん、それがすべて失敗するとは言わないが、僕自身は日本語で食っていけるだけの日本語力のほうが、両方ビジネスレベルのバイリンガルより貴重だと思うから、子供ができる前に気がついてよかったなと思う。

 

 ビジネスレベルの言語を2カ国語以上身に付けていれば、あるいは就職はうまくいって、生涯年収なども高くなるかもしれないが、個人の思考能力などに問題が生じることを考えれば、1カ国語を少なくとも100以上にしたほうがいいような気がする。

 

 バイリンガルの弊害というのはちゃんとした研究もあるようだから、もしそのような立場、つまり子育てするような人はちょっと気にしたほうがいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

意外なこと

 前回書いた、「韓国で驚いたのは赤いゲロ」というのは、半分冗談だとして、本当に驚いたことを書いてみたいが、手短に書く能力がないので、とりあえず「意外だったこと」を書いてみる。

 

 ネット上だと韓国人は「火病」などと言われてすぐにぶちきれるイメージがあるかもしれないが、実際、声を荒げて怒鳴るような場面にはよく出くわす。いい大人が道端で喧嘩しているのもよく見かける。

 

 だけど意外なことに、ほとんど手を出すことはない。まれに女性同士の喧嘩で髪をつかみ合っているのはみかけるが、男女ともにパンチやキックはもちろん、テコンドーの技を繰り出すのも見たことがない。あるのは拳を振り上げて、「てめえ殴るぞ」みたいなジェスチャーだけだ。

 

 もちろん、日本でだっていきなり殴り殴られるようなことはないが、それでも不良にからまれたり、何かのきっかけで知らない人と口論になったりして、手を出したり出されたりというのは想定しているような気がする。喧嘩になること自体がほとんどないが、喧嘩になれば「殴る」ことを含めていないだろうか。

 

 だけど韓国ではこれまた意外なことに、殴られたらすぐに訴えるケースが多いらしく、まあ殴らない(※家庭内での暴力は別だけど)。殴られて医者にいけば、サッと診断書を出してくれるし、日本みたいに高くもない。診断書の提出という文化が根付いているような気がする。

 

 考えてみると、韓国は全国民が住民登録証というIDカードを所持していて、指紋も取られているから、何か事件があればすぐに身元が判明する。それで喧嘩をしても殴ったりしないのかな、などと考えているけど、実際はどうなのか知らない。

 

 

韓国で驚いたこと、と訊かれて。

 韓国では主に講師として韓国の学生や生徒と接していたため、「日本人として韓国で感じること」についてよく訊かれた。特に私が韓国に渡った90年代後半は、まだまだ世界における韓国の存在感は小さく、「なぜ日本人がわざわざ韓国に来るのか」という感覚が強かったようだ。

 

 日本は目標ではなく、ライバルという考えは昔からあったが、実際にサムスンなどの躍進によって一部では日本を凌駕すると「なぜ韓国に」というような考え方はだんだん減ってきたのだが、それでもまあ、今でもある程度教育を受けた人は、日本を必要以上に見くびったりはしない。

 

 韓国での生活が日常となり、韓国生活に慣れきっていたのか、あるとき、新しい学生たちを前にして、「韓国に来て一番驚いたことは何ですか?」と訊かれ、すぐに思いつかず、なんの考えもなく思いついたことを言ってしまったことがある。

 

「道端にあるゲロが赤くて驚いた」

 

 すると教室にいた学生たちはどっと笑い、「先生何言ってるの」とか「うける」とかそういう声が飛んできて、思いがけずうけてしまい私も照れ笑いなどをしていたのだが、静かになった頃合いを見計らって、前の席に座っていた真面目そうな学生が

 

「先生、日本のゲロは何色ですか?」と質問した。

 

「韓国みたいにあちこちにゲロがあるってわけじゃないけど、黄色っぽい白かなあ」と答えるとまた学生たちはどっと笑った。良い思い出だ。

 

 

 

 

韓国の結婚式

 私の妻は韓国人で、つまり国際結婚をした。それだけでレアケースなので、どこで知り合ったのか、結婚式は挙げたのか、挙げたのならどこで挙げたのかという話になることが多い。

 

「韓国では結婚式挙げない人はほぼいないんですよ」と話すと大抵の人は「そうなんですか、へー」というような反応を示すが、さらに続けて「結婚式をあげると、ほぼ100%黒字になるんですよ」と話すともう少し強い反応が帰ってくる。

 

 私の場合は韓国で教員をしていたために、学生40人ほどが参加したが、この分は赤字になったものの、トータルではやはり黒字になった。そのくらい利益率(?)が高いと言える。

 

 なぜそうなるか。簡単にいえば支出が少なく、収入が多いからだ。韓国の結婚式の流れを簡単に説明すると、まず式場にいくとホールが4つくらいはあるから、自分が参加するホールを入り口で探す。結婚するカップルの名前よりも新郎新婦の父親の名前が大きく書いてあるためちょっとわかりにくい。

 

 ホールの入口には両家の両親が両サイドにいるので、挨拶をする。それから受付に記名して、ご祝儀をわたす。すると「食事券」が貰える。この食事券は金額に関係なく、同行者の人数により、2枚とか3枚とか指定してもらうことができる。

 

 この後、1)式を見ていく、2)食事をする、3)帰る、という選択をすることになる。これが日本との大きな違いだと思うが、韓国では結婚式に来て、式を見ないで金だけ払い、帰ってしまう人がかなりいる。

 

 逆に言うと特に招待していなくてもどこかで聞きつけて、お金だけ払ってくれる人もかなりいる。 

 

 式を見ていく場合は、まず教会風のホールに式の参加者が入る。時間になると新郎が入場し、しばらくすると新婦と父親が入場する。牧師や神父、神主のような人はいないが、「主礼」と呼ばれる新郎の恩師などが新郎新婦の紹介などを行う。場合によっては新郎新婦の友人などが歌をうたったりする。

 

 式が終わると家族、親戚、友人の順番で写真を取る。式の途中でもほぼ自由に途中退席できるし、食事に行く人はいつでもいける。写真撮影が終わると友人などは館内の食事場所に移動する。

 

 この後、新郎新婦とその両親、家族などは韓国の伝統的な儀式的なことをする。これに1時間くらいはかかるが、親しい友人は食事場所で待っている。

 

 食事場所は普通一箇所で、その日に結婚式を挙げるカップルのすべての参加者が同じところで食事をする。4組式を挙げれば、それぞれの参加者が食事場所に来るため、かなり混雑する。ほとんどの人は食事をしてすぐに帰るが、前述したとおり、親しい人や暇な親戚などは新郎新婦が来るまで待っている。新郎新婦は朝から準備で何も食べる時間がないが、ここで余裕があれば一緒に食事をすることができる。

 

 ここで出される食事は、A)2,3種類のメニューから選ぶタイプ、B)ビュッフェ、の2種類がある。Aの場合、新郎新婦の負担は1食1万ウォン程度、Bの場合は3万ウォン程度になる。

 

 ここでやっと本題になる。出席者が300人だとして、全員が平均の10万ウォンを払うとこれだけで3000万ウォン。食事代が900万ウォン、式場と衣装、写真がセットで200万ウォンくらいだから、ざっくり半分以上残る。もちろん、主礼の方へのお礼や雑費がかなりあるため、半分残るとは言わないが、逆に10万ウォン以上払う人も多いため、赤字になったという話を聞いたことがない。

 

 韓国はまだ就職していないカップルが子供ができたわけでもないのに、急に結婚式を挙げる場合があるが、それにも理由がある。ご祝儀の額は、それぞれの地位や収入によって変わるため、新郎新婦(とその両親)の社会的地位が高い場合は、ご祝儀も多い。それで、父親が大きい会社の重役、軍隊の将校、上級公務員を退職する場合は、その前に式を上げたりする。大企業の部長クラスになると、参加者も多く、また付き合いのある人も社会的な地位が高い場合が多いため自然とご祝儀の額も上がるが、退職なり転職なりしてしまうと、急に額が下がってしまう。なんだか悲しい話だがそれが現実らしい。

 

 一度、大学3年生の知り合いの女性が結婚するというので、理由を尋ねると、父親職業軍人でかなり階級が高い人なのだが、数年以内に退役するために、その前に式を挙げるのだと教えてくれた。金の問題だけでなく、娘の結婚式で父親が無職よりも現役の将軍(?)のほうが娘も父親も、相手の家族もみんなハッピーということなのだろう。医者や弁護士、会計士などが結婚する場合もこういうことが多い。

 

 だからというか、韓国では日本に比べると、男女の学歴が絶妙なバランスを取っている場合が多い。梨花女子大を卒業した女性の結婚相手は、ソウル大が多く、悪くても延世大か高麗大という日本の早慶のようなところしか見たことがない。もちろん全部が全部そうだとは思わないが。

 

 日本に比べクリスチャンが多い韓国だが、式をあえてカテゴライズすると人前式となるのだと思う。「縁」とか「人脈」を大切にする韓国社会の姿が結婚式の祝儀の額にも現れていると言えるかもしれない。

 

※結婚式のご祝儀にいくら払うかというブログ記事を読んで、そういえばいい年して2万ウォンしか払ってくれない人がいたなあ、と思い出して書いたのだけど、着地点はまったく別のところになってしまった。