下等遊民の妄言

主語でかい

バイリンガルについて思うこと(あるいは幼少期の外国語教育)

 バイリンガルについての感想、を書いておきたい。

 

 結論から先に言うと、ぼくのまわりにいるバイリンガルの人たちは、2カ国語が「ビジネスレベル」だけど2カ国語ともに「本職レベル」ではない、ということだ。

 

 自分自身がもともと日本語教師だったことや、その後、韓国語の翻訳者になったことなどが影響してかぼくの周りにはバイリンガルが多い。

 

 ぼく自身の韓国語能力は、成人してから学習を始めたこともあり、ネイティブとはとても言えないが、だからといって「外国語」というレベルでもなく、自分では「ネイティブに準ずる」と言うようにしている。

 

 子供の頃に外国で暮らしていた人などは、ネイティブと言えるレベルの言語を2種類以上習得している場合があり、以前はそれがただ単純に羨ましかった。だから英語を子供の頃から学ばせることに何の疑問も持っていなかった。

 

 だけど、実際自分が外国語を使う仕事をするようになり、いわゆるバイリンガルと呼ばれる人と接するようになってから、少し考え方が変わった。

 

 例えばぼくが知っている韓国人で、子供の頃日本で過ごし、日本語と韓国語のバイリンガルの人がいる。ぼくと同じように翻訳者として働いている。ぼくは韓国語を日本語に訳すのがほとんどで、日本語を韓国語にするときは、文芸作品を除いた書類やマニュアルのようなものだけで、しかもネイティブにチェックを頼むようにしている。

 

 だけどその知り合いは、バイリンガルだから日本語を韓国語に、韓国語を日本語にする仕事を制限なく両方受ける。場合によって校正者としてその人が書いた日本語をぼくがチェックすることがあるのだが、この日本語がやはり「本職」と呼ぶには少し何かが足りない。

 

 文法的な間違いはほぼないのだが(少しある)、修飾語と非修飾語の位置関係だとか、語彙の選択にどこか物足りなさを感じる。その辺のまったく本を読まないような日本人よりはよっぽどしっかりした文章を書くのだが、プロの文章と比べるとやや劣る。

 

 語学のレベルをわかりやすく数値にするとして、創作や翻訳、編集ができるような「本職」を120として、ネイティブが100、ビジネスレベルが90とする。ぼくのまわりのバイリンガルは母国語が98、もう一つが95くらいに感じる。ひとり、ふたりではなく、例外なくそうだと思う。つまり、両方共ほぼネイティブなのだけど、それで食っていくには足りないという印象がある。

 

 宇多田ヒカルみたいな人は日本語が120以上なのは確かだから、バイリンガルすべてがそうなるというわけではないのだろうが、どうもまわりの例をみていると、2カ国語ともに100に達していない印象を受けてしまう。

 

 ときどき車で聞いている朝のラジオで元NHKアナウンサーの住吉某という人が話しているが、あの人も帰国子女らしく、英語のレベルがどの程度かしらないが、少なくとも日本語はせいぜい100で、NHKアナウンサーに求められる120には到底達していないように感じる。というか、100にも達していないと思う。

 

 でも本人は「職業病で他人の日本語が気になる」と発言しているから、自分の日本語に疑問は持っていないのだと思う。そこが怖いな、と思う。ぼくのまわりのバイリンガルもほとんどは自分の言語能力に疑いを持たず、2カ国語ともに100以上、あるいは120と考えているように感じる。一部の繊細な人は、「両方共、中途半端」と自称しているから、こういう気付きのある人は、逆にいいと思うのだけど、元NHKアナで自分の日本語が変なことに気付かず、気付かないままでいるのは、悲劇で喜劇だと思う。住吉某さんのことが嫌いなわけじゃなく、むしろ好感を持っているから、逆に悲しく思う。

 

 ぼくには子供がいないけど、国際結婚したから、もし子供がいたら日本語と韓国語を両方教えていたかもしれない。もちろん、それがすべて失敗するとは言わないが、僕自身は日本語で食っていけるだけの日本語力のほうが、両方ビジネスレベルのバイリンガルより貴重だと思うから、子供ができる前に気がついてよかったなと思う。

 

 ビジネスレベルの言語を2カ国語以上身に付けていれば、あるいは就職はうまくいって、生涯年収なども高くなるかもしれないが、個人の思考能力などに問題が生じることを考えれば、1カ国語を少なくとも100以上にしたほうがいいような気がする。

 

 バイリンガルの弊害というのはちゃんとした研究もあるようだから、もしそのような立場、つまり子育てするような人はちょっと気にしたほうがいいかもしれない。